アメリカ国務省
2000年11月29日

Congressman Hall Nov. 29 Remarks on Famine in North Korea

朝鮮の飢饉に関する下院議員ホール氏の11月29日付けの論評

http://www.reliefweb.int/w/rwb.nsf/6686f45896f15dbc852567ae00530132/
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朝鮮の人々は、この一年で悪化した飢饉によって困窮しており、特に子どもたちと病人が苦しんでいると、下院議員トニー・ホール氏(オハイオ州、民主党員)は述べる。

11月29日の記者会見で、オハイオ州のその下院議員は朝鮮の情勢に関心を抱く諸国は「過去一年間に悪化した飢饉と闘うための国際的努力を復活するよう」促した。

ピョンヤン体制の2100万人の人々は、食糧不足で苦しんでいるだけでなく、また、医薬品の不足や、朝鮮の厳しい冬の寒さに立ち向かう暖房用燃料の不足にも苦しんでいると、彼は話した。

ホール氏は、その共産主義国への1996年以来6度目の訪問で、11月25日から28日にピョンヤン以外のチョンジンや他の都市の病院、孤児院、それに他の現場を訪れた。

その民主党の立法者は、11月30日に金大中大統領と、それにアメリカへ戻ってからビル・クリントン大統領と彼の所見について議論するつもりだと述べた。

「朝鮮の市民は、この困難なときに誰が彼らを助けたか覚えていると確信する」と、ホール氏は語り、朝鮮の苦境を「我々の時代の最大の飢饉のひとつ」と呼んだ。

朝鮮の人々は、「こうような状態で長くは生きられないし、彼らの食料や暖房の基本的な人間的ニーズは、何十年来の問題の政治的解決を待つことはできない」と、ホール氏は述べた。

ホール氏は、彼が訪れたピョンヤンから100マイルたらずのところにある病院を「寒く、貧弱で、病気の悪臭に満ちた汚れた場所」と説明した。

この危機で最も苦しんでいる者たちは、朝鮮の子どもたちだと彼は語った。

「書類上では、子どもたちはいちばんうまく行っている。なぜなら、子どもたちは国連の世界食糧計画から完全な割り当て分を受け取っているからだ。だが、現実は、託児所には孤児が溢れている」と、ホール氏は話した。

「チョンジン近郊で私が訪れたある『乳児院』では、子どもの5人に2人は両親とも亡くしていた。残りの子たちは、もはやその子たちの面倒を見られない家族によって乳児院の世話になるよう預けられた」と、ホール氏は述べた。

以下は、記者会見でのテキストである。

下院議員トニー・P・ホール、アメリカ下院議員

ホール氏は、朝鮮の身を切るような寒い前哨地での「忘れられた飢饉」を説明する。

危機への“バンドエイド”アプローチ(応急処置アプローチ)を再考せよと彼は促す。

2000年11月29日、ソウル

オハイオ州民主党下院議員トニー・P・ホール氏は今日、朝鮮の2100万の人々に関心を抱く諸国が、過去一年間に悪化した飢饉と闘うための国際的努力を復活するよう呼びかけた。ホール氏は、11月25日から28日までのピョンヤン以外のチョンジンや他の都市の病院、孤児院、それに、その他の現場への訪問について報告した。その訪問は、ホール氏による1996年以来6度目の訪問だ。彼の論評は以下の通り。

「朝鮮の外交上の主導権に関するニュースにもかかわらず、終わってない飢饉を生き延びるために、なお闘っている人々がそこにいるということを忘れるのは簡単だ。」

「暖かい部屋に座っていると、その時の90パーセントが暖房されていないままの場所が、どれくらい凍てつくような寒さなのか想像するのは難しい。見慣れた通りを運転していると、時折見えるともしびの他には完全な闇に包まれた家々を通り過ぎる朝鮮の道路について考えると奇妙に思えるかもしれない。そして、私たちの、すぐ前に食べた食事または次の食事とは、数時間も間がないということだと、数百カロリーたらずの食料を食べるか、あるいは、まったく食べないような日が来る日も来る日来る日も続くような飢えを理解することはできない。」

「最近の訪問者たちがピョンヤンについて抱いた印象は、この国のその他の地域における現実と一致させることが必要だ。ワシントンDCのナショナル・モールを訪れた人々が、アメリカの都市はみなそのように見えると想像するのは間違いだろう。同様に、朝鮮の首都を訪問した者たちは、ピョンヤンに住む人々がへんぴな地域の人々の典型などではないことを忘れない必要がある。」

「数週間、数ヶ月先にどんな政治的変化が起ころうとも、朝鮮のたいていの人々が毎日直面している厳しい状況は、我々が真っ先に思い浮かべるべきことだ。人々は、このような状態で長くは生きられないし、彼らの食料や暖房の基本的な人間的ニーズは、何十年来の問題の政治的解決を待つことはできない。」

「私が8月末にヒエサンとサリウォンを訪れたとき、私は情勢が改善している兆候を見た。ふた冬前のチョンジンでは、人々はみじめだったが希望が無くはなかった。私は、今年事態はずっとよくなると期待していた。しかし、そうではなかった。事態は悪くなった。」

「こうした急速な劣化は、咸鏡北道において最も明らかだ。その地域は、世界中のどの国をも荒廃させるような台風と洪水に苦しんだ。しかし、朝鮮の人々は他の国の人々よりもっとずっと高い代価を支払っている。なぜなら、彼らの国の困難は、どんな暴風も切り抜ける彼らの能力を超えているからだ。」

「そして、悲惨さは自然災害が襲ったようなところに住む人々だけにまったく限られない。ピョンヤンから100マイルたらずのところのオンチョン郡やパクチョン郡、それに、チョンジンでも、私が訪れた病院は、寒く、貧弱で、病気の悪臭に満ちた汚れた場所だった。医師たちは勤勉だし、心配しているように見えた。しかし、彼らは患者たちに与えるべき助けとなる物をほとんど持っていない。電気は日に2時間たらずしか来ない。患者たちは人が生きるのに必要な食料の半分以下しか食べさせてもらえない。そして、医薬品は、抗生物質から麻酔剤、鎮痛剤、アスピリンにいたるまで、どこにもない。人々を入院させるたいていの病気は、いわゆる『代用食料』を食べることで引き起こされる。それは、すり潰した葉っぱや木の皮やその他の食用に適さない植物と混ぜられた多少の穀物であり、胃袋を満たすが、その後、胃袋を傷つけるのだ。」

「ひきつづく危機は、朝鮮の子どもたちの生活にいちばんよく示されている。書類上では、子どもたちは国連世界食糧計画から完全な割り当て分を受け取っているので、いちばんうまく行っている。しかし、実際には、託児所は孤児で溢れ返っている。私がチョンジンの近くで訪れた『乳児院』は、子どもたちの5人に2人は両親とも亡くしている。残りの子どもたちは、もはやその子たちの面倒を見られない家族の者によって乳児院の世話になるよう預けられたのだった。私が見たどこででも、子どもたちはよく世話をされているようだった。しかし、石けんもお湯も暖房も薬もなく、たいていの子は汚れていて、咳をし、鼻をたらしていた。昼ご飯に、その子たちは息もつかずにミルクをごくごく飲んで、そして、たちまち空腹に戻った。」

「我々は朝鮮の人々が食べるのを助ける6年目に入ろうとしており、援助を受け取るたいていの者は8歳以下の子どもたちだ。私は、私自身の国が支援への関わりでぐらつかず、飢饉救援の努力で最大の貢献をなしてきたことを誇りに思う。私は最近、韓国と日本が国連の努力に対して気前よく寄贈したのを大変うれしく思う。金大統領と森首相は、そうした寛大さへの見当違いの批判に抗したその指導性と決断力で賞賛に値する。」

「私は、朝鮮の市民は困難なこの時に誰が彼らを助けたか覚えているだろう、そして、我々の時代の最大の飢饉のひとつを無視する者たちには歴史が厳しい審判を下すだろうと確信する。」

「私は国際食糧援助が続くよう希望するが、しかし、今や国際社会はこの危機に対する“バンドエイド”アプローチ(応急処置アプローチ)を再考するときだ。ある援助職員が私に語ったように、食糧援助だけでは『裂けた傷口に包帯を巻いているようなもの』だ。」

「どの親でも知っているように、毎年WFPが食べさせる700万人の子どもたちの誰ひとり、食料だけで生き延びさせることはできない。その子たちはみな、暖かい家、病気を防ぐワクチン、医薬品、そして、孤児院以外の将来を必要とする。その子たちは、もちろん、もっと多くを必要とする。だが、これらのたいていの基本的な人間ニーズは、アメリカや他の諸国が充たすことを助けられるものだと私は信じる。」

「その軍事力が脅威でありつづける国に燃料を提供しようという考えは論争の的になりうるものであり、私は、ピョンヤンに石油やガスを無差別に送ろうと提案しているのではない。しかし、今やもう、私がウンハリ村で見たようなプロジェクトを真剣に考慮するときだ。そこでは、アメリカ基盤のノーチラス研究所が風力を利用するために朝鮮の科学者たちと一緒に働いている。アメリカが設計した風力タービンは、今では家々を暖め、電灯をともし、飲用水を浄化し、それに田畑を灌漑する。そして、そうした成功は他の地域にも拡張しうるものだ。このようなプロジェクトのさらなる利点は、外国人が現地の人々と共に働き、関係諸国の外交官らの間で現在築かれつつある絆を広げる方法を与えるということだ。」

「その他の見事なイニシアティブが提案され、朝鮮によって同意されたが、大抵は支援が無くだめになった。国連開発計画は、広範な勢ぞろいした農業改革のプロジェクトを立案した。国際農業開発基金はすでに朝鮮の小規模事業者と取引している。そして、ユニセフは、あらゆる国の平和と将来の繁栄のための最大の希望である幼い子どもたちを助ける方法を示した。わが国や他の国々は、これらやその他のプロジェクトをあれこれ見て、それらを支援するよう、私は願う。私は、ユニセフの保健ときれいな水のプロジェクトへ私たちの援助を再開するよう、次期アメリカ政府とできるだけ早く議論するべく交渉するつもりだ。それらのプロジェクトは1998年に始まったが、大した理由もなく止まってしまったものだ。」

「明らかに、朝鮮の指導者たちもまた、彼らの優先事項を変え、人々の状況を改善するためにもっと多くのことをなす必要がある。私は、そこの官僚たちに援助職員らともっと容易に協力するよう促したし、キム・ゲグァン外務次官とアメリカの安全保障上の懸念の幾つかについて議論した。彼が述べたこと、そして、出発前に私がクリントン大統領と個人的に議論したことにもとづいて、我々がなお、きたる数週間のうちに外交的躍進を見られるよう、私は希望を抱いている。」

「しかし、あまりに狭く焦点を合わせるのは実際には危険だ。過去4年間、私は人道支援が引き起こしたものすごい変化を見てきた。それが救った数百万の生命と、この危機への国際的な対応によって変わった政府の態度の両方において。」

「何の罪もない朝鮮の人々こそ、我々の諸国が朝鮮との関係を改善しようとする理由だ。彼らの政府ではなく、彼らが、私たちの外交的イニシアティブへの目的を与え、彼らの必要が真っ先に置かれるべきだ。あまりにしばしば、外交的進歩が約束する長期の利益が朝鮮人の目前の必要を影の薄いものにする。あらゆる事欠いている食事、あらゆる事欠いているワクチン、凍てつく気候と闘うために過ごされるあらゆる厳寒の夜が、彼らを縮められた寿命に、あるいは、死に近づく次の歩みへ押しやる。」

「私が訪問中に見た罪のない人々は、外交的なホームランを待つことはできない。彼らがたいてい必要とするものは、着実な前進をしるす堅実なヒットだ。私は、こうした人間の現実が、首脳会談や政治の外交的どよめきの中で見失われないよう希望する。」

ホール氏は、11月30日に金大中大統領と、そして、アメリカへ戻ってからビル・クリントン大統領と彼の所見について議論する予定だ。