朝鮮のミサイル売却をやめさせる取引
A deal to stop Korean missile sales

レオン・V・シーガル(Leon V. Sigal)

2002年12月12日
ボストン・グローブ紙

http://www.boston.com/dailyglobe2/346/oped/A_deal_to_stop_N_Korean_missile_sales+.shtml


十数個のスカッドミサイルを積み込んだ朝鮮のイエメン行きの貨物船を阻止したことは、ピョンヤンのミサイル輸出が衰えていないことを示している。11月から追跡していたアメリカ諜報機関の助けで、二隻のスペイン軍艦が公海上で旗を掲げていない船舶を停止させた。けれども、そうした停船は、以前にはめったに成功しなかった。そうするには、国際的な協力を要するし、もしそのことが国際法を無視し、あるいは、銃撃戦のリスクをおかすことを意味するなら、そうする用意はないだろう。

ピョンヤンが武器を拡散させるのをやめさせるより確かな方法がある。すなわち、外交取引を試みることだ。朝鮮は、1992年以来、関係改善と、差し控える売却の補償との引き換えに、ミサイル売却をやめる用意があると意思表示してきた。以前、そうした取引を行なうよう、イスラエルとアメリカに勧めたが、そうした試みは弱まった。今やそうした試みを復活し、これを最後に朝鮮のミサイル売却をやめさせる時だ。

ほとんど他に世界に売るものを何も作っていない朝鮮は、パキスタンやイランや、その不安定な地域の他の諸国にミサイル技術を輸出してきた。同時に朝鮮は、耳を傾ける者にたいしては、もっぱら外貨が必要だからこそ、そうしているのであり、代償があれば快くそうするのをやめると語りつづけてきた。

ピョンヤンの取引戦術は、多くの者たちに、朝鮮が見返りに何も差し出すことなく経済援助を得ようと脅しをかけていると結論させた。それは違う。朝鮮は仕返ししようとしてきたのだ。つまり、敵対を終わらせようと、ワシントンが協力する時はいつも協力し、ワシントンが約束を破った時は仕返ししてきたのだ。

1992年10月、イスラエルはピョンヤンでの会談の招請を受諾した。1993年1月、イスラエルは、朝鮮がその地域にミサイル輸出するのをやめさせる誘因として、国交を結び、鉱業と農業での投資と技術援助のために数億ドルを提供すると提案した。朝鮮を孤立化させ、核武装を放棄するよう圧力をかけていたアメリカの命令で、イスラエルは3月に交渉を中断した。

仕返しの一例として、ピョンヤンは、1993年5月29日に最初で一回だけの中距離ミサイル・ノドン発射実験を視察するよう、パキスタンとイランからの有望な買い手を招待することで応酬した。

イスラエルは交渉を再開し、シモン・ペレス外相が取引を完成させるため6月14日にピョンヤンへ向かおうとしたが、ワシントンが再び介入し、取引をやめるよう外相を説得した。ピョンヤンはミサイル実験を再開すると再び威嚇したが、ワシントンがそうしないよう説得した。1996年、ワシントンはピョンヤンとのミサイル問題の対話を開始したが、その後の2年間でわずかに2回会談がもたれただけだった。

1998年6月6日、朝鮮は提案をやわらげて、ミサイル輸出だけでなく新型ミサイル「開発」の中断をも交渉テーマとすると公表した。開発とは、実験と実験用ミサイル生産の両方を意味する。その提案とともにミサイル実験再開の脅しがあった。それは、1998年8月31日に朝鮮が行なった脅しであり、そのとき朝鮮は人工衛星を軌道に乗せようとして失敗した試みで3段式ロケットを打ち上げたのだった。それは、仕返しの別のケースだった。

ついにアメリカが本気で交渉を試みようと決めたとき、朝鮮はミサイル実験を中断した。その後、2000年10月12日、朝鮮の副司令官、趙明禄国防委員会第一副委員長のワシントン訪問で、両国は、「双方の政府は相手方に敵意を抱かない」と読み上げた共同声明を発表した。平たく言えば、われわれは敵同士ではない。

敵対関係の終結宣言はミサイル交渉への道を開いた。それから2週間のうちにピョンヤンでのマデレーン・オルブライト国務長官との会談で、朝鮮の統治者、金正日は、既存契約を含むあらゆるミサイル技術の輸出を停止し、射程距離500キロ以上のすべてのミサイルの実験、生産、配備を凍結すると提案した。凍結を検証可能な禁止へと進めるには、朝鮮のミサイル撤去や現地監視など、探求され、解決されるべき重要な問題が残っていた。けれども、ブッシュ政権は、ミサイルについても他の何かについても、交渉する何の努力もしなかった。

ピョンヤンは、核開発についても同様にワシントンに仕返ししようとしている。クリントン政権が1994年の「枠組み合意」に応えるのに鈍かったとき、朝鮮は1997年2月に合意破棄を警告した。朝鮮によるウラン濃縮装置獲得の試みはこの時にさかのぼる。ブッシュ政権が「敵意」無しというアメリカの誓約を再確認する代わりに拒絶したとき、朝鮮は、その試みを強化した。

ピョンヤンは、アメリカが不可侵を保障し、経済開発を妨害せず、あるいは、その主権を傷つけないことと引き換えにウラン濃縮計画の検証可能な終結を快く交渉すると言う。また、生物・化学兵器についても交渉すると言う。これらの提案には、直接交渉を探ってみるだけの値打ちがある。ワシントンは、ピョンヤンと相違を平和的に解決したいと言う。外交的なギブアンドテイクなしに、どうやってそうするのか。

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レオン・V・シーガルは、ニューヨークの社会科学研究協会・北東アジア安全保障協力プロジェクトの指導者で、『ストレンジャーの武装解除─朝鮮との核外交』の著者。

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朝鮮について冷静になれ
Cool-down on Korea

2002年12月15日
ボストン・グローブ紙社説

http://www.boston.com/dailyglobe2/349/editorials/Cool_down_on_Korea+.shtml


窮乏している朝鮮の共産主義体制が、ブッシュ政権による約束されていた燃料油引渡しの中断に対して、核兵器用プルトニウム生産可能な原子炉の復活によって応酬すると警告した木曜日、朝鮮に対するブッシュ大統領の政策の支離滅裂さが明らかになった。アメリカが1994年の共同合意に違反したとピョンヤンが主張した先の関連した論争の中で、ブッシュは燃料油引渡しを中断した。

朝鮮との軍事衝突を防いだ1994年「枠組み合意」の条件では、アメリカは、韓国、日本、その後、欧州連合と共に、朝鮮にエネルギーを供給する2基の軽水炉建設と毎年50万トンの燃料油提供のための金融支援を行なうと合意した。

しばらくの間、ピョンヤンは、アメリカと朝鮮との間の平和条約か不可侵条約へとつながりうる交渉を求めていた。クリントン前大統領の2期目任期の末、双方は、両者間のあらゆる敵意と交戦状態を集結させる条約を結ぶ代わりに朝鮮の弾道ミサイルの生産、備蓄、輸出を完全に放棄し、また、核兵器計画も放棄する協定までもう少しだった。

ブッシュは、「悪の枢軸」という彼の発明品のレトリックに朝鮮を含めたとき、敵意を示しただけではなかった。彼は、平和条約につながりうる交渉を、というピョンヤンの要求に留意するのも拒絶した。

北に対するソウルの「太陽政策」の立案者である、去り行く韓国大統領、金大中と金曜日に彼が電話で話したとき、最近の危機について平和的解決を探求するとブッシュが韓国の相手に保証したのは良い兆候だった。その会話が金の国家安全保障補佐官によって明らかにされたように、ブッシュは「アメリカは侵略する意図はないと朝鮮の指導者、金正日にメッセージを送るつもりだ」と述べた。もしブッシュが、アメリカの同盟国、韓国および日本がピョンヤンに与えられるべきだと言う、そうした保証を快く提示しようとするなら、それなら大統領は朝鮮と交渉するのが当然だ。

ピョンヤンがアメリカを交渉にうまく誘い出そうと危険な脅し合いを演じているとはいえ、ピョンヤンが木曜日に表明したように、その「不変な立場」は「朝鮮半島における核問題への平和的な解決を見出すことだ」と述べたとき、ブッシュの唯一の合理的な選択は、ピョンヤンに留意することだ。朝鮮との戦争という選択は考えられないし、また不必要だ。朝鮮を彼らの提案に乗っけて、それで、エネルギー支援、食糧援助、外国投資、それに平和条約交渉で彼らを買収するのが、安上がりでより安全だろう。

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