朝鮮についての情報の改善
        Improving intelligence on Korea

             ヘイゼル・スミス
              Hazel Smith

『ジェーン諜報機関論評』
Jane's Intelligence Review, April 2004

2004年3月18日

http://www.vuw.ac.nz/~caplabtb/dprk/JIR_april04.pdf


公開されていて利用可能な情報資料が豊富になっているにもかかわらず、朝鮮(North Korea)に関する評価は、時代遅れでゆがめられた情報源に頼りつづけている。食糧援助の事例を通して、ヘイゼル・スミス氏は、ピョンヤンについての考え方の土台になっている通念と現実を考察する。

(写真)栄養調査は、朝鮮の子どもたちの栄養状態が改善したことを示しているのに、なおも、ピョンヤンは自国の人民を飢えさせているという作り話がまかり通っている。

(著者)ヘイゼル・スミス氏は、イギリス、ウォリック大学国際関係論教授で、現在、東京の国連大学に平和と統治に関するプログラム担当の上級学術プログラム責任者として出向中である。


(本文)

イラクに大量破壊兵器が存在したかどうかの諜報活動の失敗について、最近のアメリカとイギリスにおける原因調査は、西側の諜報機関が情報を利用し、結論を引き出す方法における欠点を浮き彫りにした。同じ誤りは、朝鮮に関しても繰り返されうる危険性がある。

朝鮮の大量破壊兵器保有の結果の重大性を想定するに、それは体制転換の強制というようなことから、起こりうるアメリカの先制攻撃という事柄にまで事態は及びうるものであり、それならば、情報の評価が正確であることを確実にするのは、きわめて重要なことだ。ここ最近の朝鮮についての情報が照合され、評価され、利用される際の条件を考察してみると、現在行なわれている論争の質を判定することができる。

朝鮮についての基本的な前提事項は、政策の立案や学者の論争、あるいは、マスコミ報道の際の情報となるものだが、それらは大部分、個々の事柄とか前後関係とは切り離されたような情報からの推論とか、イデオロギー的な憶測とか、最悪の場合には単なるシナリオといったものに基づいた情報から組み立てられている。これらのどれも、国際的な安全保障で大いに激論を巻き起こしているような問題を解釈する方法としては異常なことだ。異常な事柄とは、そのような「認識」が根拠に基づいた紛れもない一連の事実や分析として伝わり、主要な西側諸国の諜報評価の土台を形作っている、その程度について、である。そんな「認識」は、いくらよく見ても、しばしば歪んだ見通しを与えるし、最悪の場合には間違った情勢判断さえもたらすのであり、しかも、朝鮮についての「共通認識」があると思われているほとんどあらゆる問題で、ピンからキリまでこうした歪曲した認識を含んでいる。

このような共通認識における欠陥は、1990年代の飢饉や、食糧援助が朝鮮軍部に横流しされているという話を含めた食糧援助の利用についての憶測に、はっきりと見て取れる。

冷戦時代の情報源

先入観のない情報源からもたらされ、互いに照合でき、前後関係を考慮することができるような情報は、正確で信頼できる認識の適切な根拠を与える。相互の照合によって確かめられない情報は、特にもし亡命者や反体制活動家のような非客観的な情報源によってもたらされるならば、それは細心の注意をはらって利用されなければならない。こうした認識の出発点からは、論理的、系統的に分析が組み立てられ、そして、情報における欠落部分が見極められる必要があるのだ。

1990年代に至るまで、朝鮮からの、あるいは、朝鮮についての信頼できる、正確な、そして検証可能な情報を欠如していたことは、研究者や国際機関職員やジャーナリストなど、何らかの形で分析作業の訓練を受けたような訪問者が、常にはその国を訪れることがなかったこととも関係して、その国についての諜報評価が、ほとんどもっぱら確認されることができないような偏った情報源に基づいていたことを意味してきた。言い換えれば、認識の根拠は希薄であり、したがって分析と理解は不十分なものだった。

アメリカの情報源が粗末なものだったというのは、諜報機関周辺の間でさえ広く知られていた。長年の間、アメリカにとって、事実上ソウルが朝鮮情報の唯一のお決まりの情報源だった。こうした情報は、きわめてイデオロギー的な冷戦思考のプリズムによってフィルターをかけられていたので、ひどく汚染された情報だった。韓国(South Korea)は1987年まで独裁主義的な国家であり、また、必要ならば軍事力で韓国の国家を転覆させると政治的に公言してはばからないピョンヤンからの脅威にさらされていた。1990年代の後半に韓国前大統領金大中による北への関与という驚くべき政策転換が到来するまで全くずっと、韓国の諜報は、朝鮮からの「亡命者」へのインタビューに基づくと言われながらも、実際には北の情勢のステレオタイプの描写をあたえるプロパガンダの「諜報」で有名だった。亡命者へのインタビューは、もしそれが、より広範な諜報描写の一部とみなされ、しかも、亡命者らは彼らの主張を誇張し、ゆがめることに利益があるかもしれないということに注意するならば、有益でありうる。閉鎖的な国では予想されうることだが、たいていの亡命者は、たとえ最も年配の者であれ、彼ら自身の社会の一部の状況しか知らないがために、朝鮮の場合、そうした問題がはなはだしくなるのだ。

けれども、西側で正しい情報が欠けていることの第一の責任は朝鮮政府にある。ピョンヤンは多少意味のある基礎データを公表したし、特に金日成の演説を通じて、自国の社会、経済のいろいろな部門における進歩の不足を批評するため、驚くほどしばしば計量的な分析を利用した。しかし、政府は、国内分析者に対してであれ海外分析者に対してであれ、独立した調査や批判的な評価の機会はめったに認めなかった。対外関係でもっとも深い関係にあったのは、かつてのソビエト連邦や中国のような、やはり情報を公表しそうになかった経済的、政治的パートナーの、他の閉鎖的諸国だった。いずれにせよ、朝鮮の社会経済に関する中国やロシアの認識は大したものではなかった。さまざまな派遣団は、「友好」国からでさえ政府間レベルで行動しがちで、地方を旅行して回ったり、きわめて公式的なコミュニケーション経路以外で朝鮮の人々と話すのを許された外国人はほとんどいなかった。

朝鮮政府は、スタディ・ツアーとか政治的交流、スポーツ・文化交流の一環として、あるいは、将来有望か、その時の実際のビジネス・パートナーとして、若干の外国人には短期訪問を認めた。けれども、彼らの移動の自由はきわめて制限された。ピョンヤンの目的は、その国土を効果的に統治しているのを外国人に示すことだったとしても、実際問題として、見せられた事柄は、人々の生活を統制し、個人の自由などを制限するためのその体制の企てだったのであり、宣伝活動という意味では、政府はそれ自身の最悪の敵だったわけだ。つまり、これら短期派遣団からの報告は、いつも否定的なものだった。

そのうえ、そうした派遣団の報告類は、事情を的確に報告できていないという点で問題をふくむ情報源だった。(そして、今もそうである)。朝鮮のどこかの都市をあちこち歩き回ってみれば気が付くような、見てすぐわかるような国家機密など存在しない。つまり、はっきり表れているのは、生活の質についての何がしかの感じだ。たとえば、ピョンヤンでは貧弱な低層住宅が街中に存在する。たいていのアパートメントの建物は古ぼけていて建造が悪く、補修されておらず、冬場に寒気を遮断するため窓にはビニールが貼り付けられている。都市住民はバルコニーで豚や鶏を飼い、食料を作っており、それは、食料を作れるような田舎に住む親類とのつながりがないような都市住民の間では、今なお、かなりの食糧不足があることの証拠なのだ。

しかしながら、冷戦の真っ最中でさえ、利用できて役に立つ情報が少しはあった。ロンドンに拠点を置く国際戦略問題研究所(IISS)は、世界の軍事を概観する国際比較の報告という文脈で年一回、朝鮮の軍事力に関して信頼できる有益な数量データを整理してきた。外国貿易や対外関係についての若干のデータは、朝鮮の相手国から得ることができた。また、海外の研究者によって行なわれた個別の調査事例も存在した。そうしたものとして、1988年の江原道での栄養調査も含まれるが、それは、朝鮮の児童栄養研究所と共同してオーストラリアの栄養学教授が、その国の最も東南に位置する江原道でおこなった調査だった。10年後にその道で顕著になるような広範な栄養失調の証拠は、当時その調査からは見出されなかった。

1995年以後の情報源

1995年以来、公開されて利用可能である数量的および質的なデータが急激に増えた。そうしたデータのほとんどは、1990年代前半の飢饉に対処するためピョンヤンが支援を求めて以来、人道目的、開発目的のさまざまな団体が、現地には駐在しなかったものでは数百もの団体が、また、駐在したものでは数十の団体が支援活動を続けてきて、そうした多くの団体が競って作成したような数千種類にもおよぶ報告書群から得られる。集められたデータの過去10年分のほとんどのものは、「リリーフウェブ」のインターネット・サイトに収録されており(www.reliefweb.int/w/rwb.nsf)、国連人道問題調整事務所(OCHA)によって日々整理され、更新されている。

1987年の韓国の民主化移行、そして、2000年6月の南北首脳会談できわめて劇的に象徴された関与政策がまた、堅実かつ専門的で、さほどイデオロギー的な枠にとらわれていない調査の急増をうながした。さらに、韓国の研究者らは、北との「非公式」の連携を禁ずる、その国の厳格な(そして、今なお存続している)国家保安法に違反するおそれに今やそれほど妨げられていない。

諜報目的に役立つためには、データは専門的に分析される必要がある。朝鮮における人道的活動から引き出されたような評価は、概して、不完全な社会経済データを出発点にして、しかも、政府や他の政治勢力があれこれ隠そうとしてきた状況で活動するのに慣れてきたような、経験豊かで本職の分析者によって行なわれた。彼らの朝鮮での活動において人員を補充する際には、主要な人道的機関はこうした事柄を考慮した。全体として、それらの機関は、彼らの人員のうち最も経験豊かな活動家の中から人を送り込んだ。そうした主要な機関のために活動する者たち、特に国際的な駐在人員のうち最大数を擁している国連世界食糧計画(WFP)や国際赤十字連盟の職員らは、最長4年に及ぶ期間、朝鮮に滞在した。この間、彼らのうち、言葉に精通するようになったり、また、WFP職員の場合、その国のもっとも遠方の地方の辺ぴな場所の事務所で数ヶ月過ごしたりした者もいた。

人道的活動家らは、彼らの評価を数量的、質的なデータに依拠した。観察、聞き取り、政府報告書、それに農学者、看護師、医師、研究者、聖職者、技術者、食物専門家などを含む訪朝した何百人もの専門家たちの評価から質的なデータは集められた。信頼できる重要な計量データが、1998年と2002年の2回の大規模な全国的栄養調査から明るみに出たが、それらは人口の80パーセント以上をカバーしたものだった。系統的な農業データは、国連食糧農業機関(FAO)による年2回の調査団からもたらされた。これは、衛星写真の分析と照合され、また、農場、病院、学校、診療所、孤児院、郡事務所、受益者家庭などへの(月に400回から500回に及ぶ)WFP人道的職員らの定期訪問から得られるデータを注意深く査定した。 2004年までの10年間、朝鮮の農業と食糧部門は、ますます洗練され徹底的で系統的になっていった分析にさらされてきた。こうしたデータは、重要な社会経済的分析を盛り込み、また、市場経済化への初期の発展と、さまざまな社会層の相対的な脆弱性や政府への態度の変化などの記録を集録した。これらの報告書類のすべてが、たくさんの系統的にまとめられたデータを含んでいる。けれども、それらが西側の学界とかメディアとか、あるいは、諜報機関の周辺で読まれたり利用されたりするというのは、通例であるよりむしろ例外である。

飢饉犠牲者数の歪曲

今や朝鮮について、入念な分析や適格性分析の代わりに憶測や宣伝情報を用いる必要などないほど、公的に十分信頼できる利用可能なデータが存在している。にもかかわらず、ひきつづき憶測や宣伝などが使われているのが実情だ。たとえば、海外の観察者らは、相変わらず飢饉で300万人、つまりその国の人口の10パーセントが死んだという数字を引用しつづけてきた。これらの数字を用いる者たちは、またしばしば、政府が、咸鏡北道、咸鏡南道、両江道といった北東部諸道の人々が餓死するよう見捨てていると論じる。こうした議論は、これらの諸道が政府によって「トリアージ」<優先割り当てから除外>されているとまで述べる。

300万人という数字は、中国への朝鮮の移入民や難民についての1998年のある調査から推計され、それから、イギリスの権威ある医学雑誌『ランセット』で発表されたものだ。これらの朝鮮の人々は主に咸鏡北道からやってきていたが、当該のその科学的な研究は、彼らの調査結果をその国全体に当てはめて推計することはできないとはっきり述べていたのだ。第一に、中国で聞き取りされた朝鮮の人々は、彼らの出身の道の全体を代表するサンプルではなかった。第二に、咸鏡北道は都市化された非農業人口を擁しており、その国全体を代表するわけではなかったのだ。

1990年代にぞっとするような人道的な大惨事があったことは間違いない。もっとも信頼できる評価は、韓国の経済学者リ・スクによるウォリック大学博士論文の中で行なわれた査定であり、それは飢餓と栄養失調に関係した病気で66万人におよぶ人々が亡くなったと説明している。しかし、実をいうと、おそらく政府を含む誰も、実際の数字は分からない。

「正しい事実」を理解することは単に学術的な的確さの問題だけではない。不正確な「共通認識」からの重要な結果の一つは、社会現象の現実の政治的結果を見極めることができない可能性があるということだ。飢饉、北東部、それに政府の反応について、より詳しく分析すれば、たとえば数年の間に都市化されたかつての特権的な社会集団が失業や窮乏や飢餓の不安に陥るのを国家が防ぐことができなかったというのは、実際には、国家が政策判断をし、それを実行する能力を反映していたというよりも、むしろ、戦略的な社会経済部門においてさえ国家が政策をコントロールし、それを命令する能力が今や失われていたことの兆候だったと分かったのかもしれない。

その国家は、多くの要因の結果として人民に食糧を供給する能力を失った。それらの要因としては、経済の崩壊と、冷戦終結での中国やロシアからの計画的な外国支援の終了、収穫物と穀物備蓄をつぶした自然災害、政治制度の硬直性を前提とした環境変化への十分迅速な対応ができなかったこと、そして、唯一の現実的な選択肢は対外政策や国内政策の変更と西側への援助要請だという点を当初受け入れようとしなかったこと、が挙げられた。

政府が北東部に対して食糧供給を遮断したとか、あるいは(別のタイプの議論に見られるように)人道的機関がそうした政策に協力させられたというのは真実ではない。その国のいたるところで行なわれた国家官僚、病院や診療所の責任者、教師や保育・介護者たちからの聞き取り調査から、1990年代前半の経済崩壊の時期、食糧供給が不足した郡ではどこでも非常に苦しんだということを、われわれは知っている。このことは、そうした郡がピョンヤンのすぐ北に位置する非農業の鉱山地帯の街であれ、南西部のナンポやヘジュの港湾地域であれ、あるいは北東部であれ、どこでも当てはまることだった。旧来の公共配給制度は、1990年代を通じて年間の多くの月で何も配給しなかった。

北東部の諸道は、農業資源が最も少なかったがために最も被害をこうむったのであり、政府のいかなる政策のせいでもなかった。ピョンヤンが意図的に咸鏡北道の住民を無視したというのは全くありそうもないと思われる。というのも、咸鏡北道には、支配的な朝鮮労働党の政治的、神話的な心臓部をなしている闘争的で組織された多数の都市労働者が存在しており、そして、朝鮮労働党では国家的党組織の内部でその道の党指導部は大きな影響力をもっていたからだ。

1998年以後の莫大な量に上る食糧援助活動の当初から、国連のWFPやカトリック組織カリタスのような、国連人道機関や非政府組織のうち最大のところの活動は、その援助の努力を計画的に北東部に焦点を当てたが、それはまさに、これらの地域がもっとも脆弱な地域だったからである。過去10年以上にわたって北東部で生活し、活動した何十人もの人道的活動家たちからの公式、非公式な聞き取り調査をすることが可能だ。これらの活動は、住民の変化についてのいろいろな評価という点で多面的なデータであるように、すべてたやすく入手できる公開の記録としてまとめられている。

食糧援助における通念

食糧援助についての「共通認識」は、多くの場合、疑問を抱かれることすらない三つの仮説で支えられている。第1に、その国のエリート層へ国際的な食糧援助の組織的な横流しがあるというもの。第2に、援助が朝鮮軍部の100万人の軍隊へ横流しされているというもの。そして、第3に、食糧援助が、もっとも脆弱な、つまり援助が届けられるよう意図された人々に受け取られていないというものだ。そうした食糧援助論のもっとも極端な説は、その国の指導者金正日が自国の人民を意図的に飢えさせており、それは自身の地位を守るために国際食糧援助を軍部に横流しすることによって、そうしている、というものだ。

食糧援助の90パーセント以上は先進国からの余剰穀物で、トウモロコシとか小麦とか、時には小麦粉だったり、まれにはコメである。余剰穀物は、農産物が国際市場で売れないがために、また時々は品質が悪いために生じるものだ。もし食糧援助として国際的に分配されなければ、これらの余剰穀物は飼料として用いられたり、土地に埋め戻されたり、倉庫に保管されたり、あるいは、貯蔵能力が不十分なら時には燃やされたり、単に捨てられたりする。

第1の仮説に関して、朝鮮のエリートは、金正日とその親族に近い人々だけの比較的小さな集団だ。ピョンヤンのエリートたちは、他の国のエリート同様、美食家だ。彼らは外貨が使えるし海外とも接触するので、彼らの食事のどんな部分のためにも、かろうじて飼料級の品質より上回るだけのような余剰穀物に頼らねばならないことなどない。

第2の仮説、すなわち、軍部が「横領された」食糧援助を入手しているかもしれないという憶測については、おそらくもう少し理由がある。金正日は「先軍」政策をとっており、それは国内体制の保証、および、外敵からの防衛が意図されている。軍部は、先の指導者金日成の時代以上に相対的には特権を与えられており、より大きな国内政治権力を行使できる。けれども、その国の全体的な資源不足のため、政府は軍部に食糧、衣類、住宅を確保し、手当てを支給するのもまた困難にするような経済的制約に苦しんでいる。

そのような憶測は利用できるデータで丹念に比較考量されるなら、われわれは、そういう憶測よりもっと詳細な絵を描くことができる。軍部は、その国自体の国内食糧生産から最優先で食糧を受け取る。これは周知の事実であり、政府によって公然と、しばしば明言されている。もっとも人気のある基本穀物は現地生産される「もち米」であり、それは、もっと安くて得られやすいジャガイモやキビを主食にせざるをえないような比較的貧しい人々には、めったに手に入らない。軍人は、人口の他の人々と同じ食事習慣を共有しており、そして、彼らの基本的な食事では、国際食糧援助として入ってくるような、ほとんど人気がなく栄養価も低いトウモロコシや小麦、あるいは玄米などより、現地生産されたコメを消費している可能性がずっと高いということを疑う理由はない。

おそらく最後には軍部に行き着くような国際食糧援助もあるだろうが、これは、国連世界食糧計画を通じて流される多角的な食糧支援からというより、多分、韓国や中国の政府からの二国間の寄贈から来ている可能性が高い。二国間食糧援助は朝鮮政府に直接与えられ、実質無条件だ。もし政府が二国間食糧援助を軍部に配分すると決めても、たとえそのことが国際社会の方針と一致しないとしても、それは「横流し」ではない。

軍人もまた彼らの家族同様、相対的に食糧の確保で不安定なことを示唆しているような、利用可能な他のデータもある。まさに軍隊のその規模は、兵士が基本的な穀物割り当てを保証されていても、同じ保証が兵士の家族には与えられないことを意味している。軍内部で農場と食糧生産を成立させる努力についての政府筋やメディアからのデータ、民間人から食糧を盗む兵士に関しての国境沿いに隣接した中国の街や村からの定期的な報告、そして、国中いたるところで「やせこけた兵士」を見たという人道的活動家や外国人訪問者らの観察は、軍部には全く不自由がないというわけではない、という結論を裏付ける。食糧を盗むくらい死に物狂いの兵士なら援助食糧でも盗むかもしれないが、そのことは、公的な政府の政策として、軍部への組織的な食糧援助の横流しがあるという証拠にはならない。

他方、朝鮮への食糧援助の規則的な配送や分配に従事してきたいかなる国際援助機関も、これまで食糧援助の組織的な横流しが存在した事実を伝えていない。食糧分配のモニタリングは、1990年代半ばの援助活動の当初の時期に比べうんと効率的で組織立ったものになっている。しかし、このことは、ピョンヤンが自由に活動する人道的機関の力量に不適当な制約を課していないという意味ではない。たとえば、それらの機関が個々人や各地域の食糧援助の効果を査定するのはむずかしい。

第3の仮説、つまり、金正日が組織的に自国の人民を飢えさせているという仮説の真実味についてもまた、かなり疑問を呈するべき非常に信頼できる利用可能なデータが存在する。

1998年と2002年の人道的機関と政府とによる合同の国際的に監視・監督された栄養調査は、比較可能な計量データをもたらした。それらのデータによると、子どもたちの間の非常に高い水準の急性および慢性の栄養失調がまさに飢饉時と飢饉後の状況を示していたのに対して、2002年の、なお看過できないものの、ずっと低くなった栄養失調率の数字は、より直接には慢性的な貧困状態を表わすようなものだ。2002年の数字は、まさに東南アジアの貧困国、特にインドネシアやカンボジアなどと直接比較しうるような水準だ。国連食糧農業機関によって定期的に集計されている国全体の作物供給量の農業データは、国内食糧の持続的な不足を示している。たいていの朝鮮の一般家庭では、海外から食糧を買うのに通用する通貨を持ってなかったし今も持っていないので、国内で手に入れられる物で生き延びねばならない。子どもたちの栄養状態が改善したことを考えると、政府は、7歳以下の子どもたちに国内生産分から直接食べさせていたか、貧困層が食糧を得られるような国内条件を作り出してきたか、あるいは、国際援助が向けられた対象である7歳以下の子どもたちにそれら援助がきちんと分配されるよう計らってきたか、のいずれかであるに違いない。いずれの方法であれ、これらのどれも政府が「人民を飢えさせる」政策をとっていることを示すものではない。

詳細な情報を通じて論理的に取り組むことをせず、むしろ共通認識の仮説に頼ることにより、そうした分析の水準では、朝鮮で過去10年間に起こってきた大きな社会経済的変化をほとんど考察できなかった。その政府は、今なおその住民のすべてに直接食糧を与えることはできないが、けれども住民は生き延びる方法を見出している。おそらく、政府は食糧援助を「横流しする」政策はとっていないだろうが、しかし、食糧援助が分かち合われ、物々交換され、そしてさらには、芽生え始めた市場経済の中で個々人や世帯間で売られるべき何物かとして、食糧援助が現地経済の中に入り込んで行っているというのは大いにありそうなことだ。多くの国々で援助の「市場経済化」というのは、国際援助国側の一つの目的だ。朝鮮では、そういう市場経済化が、援助側が意図せず起こっているのかもしれない。しかし、情報の分析家たちが、データの入念な研究から生み出されうるものによってではなく、むしろ、もっとずっと彼らが想像するものによって形作られたような、先に述べたさまざまな仮説に縛られているかぎり、朝鮮で起こっている実際の社会変化を作図することは、今後も不可能であり続けるだろう。それが原因となって、彼らは、朝鮮半島における平和的転換の実現を助力するよう、詳しい情報に基づいた政策オプションを海外の関係者らに提示することもできないだろう。